uraurann的野球ツッコムブログ

20年以上野球を観てきて個人的な疑問と勝手な解釈をつらつらと書いているブログです。

ゴジラ、ハンカチ王子、マー君、オカワリ君、ガッツなど愛称やニックネームがつけられるようになるには?つけられない人との違いは?

学校や会社など大勢の集団の中で生活していると必然的に話が合う人と雰囲気が似ている人と仲良くなるケースが多い。なぜかというと、自分と似たような空気の中にいると

居心地がいいからである。その大きい小さいかかわらずコミニティの中にいると最初

は手探りでお互いが相手がどういった人間か性格かわからないからとりあえず無難に

「〇〇君」「〇〇さん」と呼ぶはず。それがだんだん合う回数も増えて相手の人となり

も何となく理解し始めた頃に「〇〇ちゃん」「〇〇っち」などまたは「名前」で呼ぶ

ようになる。心の距離が縮まった瞬間だ。

 高校野球なども一つ屋根の下同じ釜の飯を食うじゃないけど甲子園という高い目標に向かって三年間という期間を苦楽を共にするわけであるから仲が深まってきたら苗字

や下の名前を呼び捨てにするかもしれないが仲には親しみを込めて愛称で呼び合う

チームメイトもいるかもしれない。

 ではプロ野球の世界ではどうだろうか?こっから適当に愛称で呼ばれていた選手を

思いつく限り列挙していく。

松井秀喜ゴジラ」・斎藤佑樹ハンカチ王子」・田中将大マー君

中村剛也「オカワリ君」・小笠原満大「ガッツ」・池山隆寛「ぶんぶん丸」

・赤星憲弘「レッドスター」・長嶋茂雄「ミスター、ちょーさん」

王貞治「ワンちゃん」・前田健太マエケン」・ダルビッシュ「ダル」

柳田悠岐「ギーター」・和田一浩「べんちゃん」・野村克也ノムさん

川崎宗則「ムネリン」・三浦大輔ハマの番長」・衣笠祥代「鉄人」

佐々木主浩大魔神」・金本知憲「兄貴」・松田宣浩「マッチ」などなど

この長いプロ野球の歴史の中で親しみを込めて愛称やニックネームがつけられ

それが贔屓以外にも浸透する選手は一握りである。

 僕の中で一つの疑問がわいてきた。それは、愛称やニックネームがつけられるように

なる人とつけられない人の違いは何か?成績がずば抜けて凄い人でもつけられない人は

つけられない、あの派手なパフォーマンスで華やなかな存在だった新庄剛氏も大体は

「新庄」であった。つけられる人の方が希有な事例こうして振り返ると、ほぼほぼ皆無

なので個人的にその差異の要素はなにか?分析してみたい!

〇あまりに凄すぎて例えるタイプ

これにあたるのが、松井秀喜氏の「ゴジラ」や佐々木主浩氏の「大魔神

身体のデカさなどもあるが、打ちすぎや打てなさすぎなどでもはやこいつは「人」じゃないといった類の愛称である。

〇プレースタイルであらわされるタイプ

これにあたるのが、おかわりするかのように一試合に何本もホームランの放物線を描く

中村剛也選手の「おかわり君」またブンブンバットを振っていて長打力もあるが三振も

多いということで池山隆寛氏の「ブンブン丸

〇苗字や名前からつけられるタイプ

これにあたるのが、川崎宗則選手の「ムネリン」松田宣浩選手の「マッチ」

柳田悠岐選手の「ギーター」前田健太選手の「マエケンダルビッシュの「ダル」

野村克也氏の「ノムさん田中将大選手の「マー君」などなど

〇客観的に見た身体的精神的な強さを表現したタイプ

これにあたるのがガッツあふれるプレーなどでついたであろう小笠原満大氏の

「ガッツ」どんなにケガをしてでも試合出続けて記録を作った経緯から衣笠祥代氏を

「鉄人」

〇容姿、雰囲気からつけられるタイプ

いつもリーゼントでバッチリ決めていた三浦大輔氏は「ハマの番長

見た感じ男らしい男気のある熱いプレーでみんなの兄貴的な存在のような感じから

金本知憲氏は「兄貴」

 自分勝手に分析をした結果、おおざっぱだがこれら分けてみた。これら愛称やニックネームを付けられた選手は成績を残したこと+印象に残るような脳裏に焼き付くような

プレーやパフォーマンスや「個」がある容姿や雰囲気、立ち振る舞いがあった。

これからもユニークで親しみのある愛称がつけられるプレーヤーが増えたらいいなぁとは望みます。増えたら増えただけ魅力的なプレーヤーが現れたということだから。